月別アーカイブ: 2015年10月

丸ノ内線の詩集

朝倉勇『詩集 神田川を地下鉄丸の内線電車が渡るとき』

 地下鉄丸ノ内線には、茗荷谷-後楽園、御茶ノ水-淡路町、四ツ谷と、地上を走る区間が存在する。なかでも御茶ノ水駅をでてすぐ、神田川を渡り、総武・中央線の下をくぐる区間は、わずかな距離ながら立体交差が面白く、昔の絵本や図鑑によく描かれた。
 先日見つけた朝倉勇の『詩集 神田川を地下鉄丸の内線電車が渡るとき』(1983・誠文堂新光社)は、そんな御茶ノ水の地上区間を題材とした詩集である。それも丸ノ内線で通勤する途中、その地上にでる数秒間の印象を、約1年に亘ってメモした日記のような詩集だ。
 私は書かれている詩そのものよりも、現代アートを思わせるその着想に惹かれた。

十一月二十五日 火曜日 快晴 九時五十分 左
三階建てと思った左岸の木造建ては
四階建てであった
きのう列島を襲った寒気団に日本の空は洗われた
透明な光があふれている
川に反射した光が
岸と建物にも下から明るさをおくっている
〈後略〉

 神田川の左岸に見える三階建てと思っていた木造の建物が、後日見たら四階建てであったとか、電車の正面からは神田川が見えないなどといったことが日々記されていく。

三月十六日 火曜日
地下鉄電車が神田川鉄橋を渡る時間を計ってみた
渡りはじめから終りまで
ざっと七秒である
(ただし僕が乗っているのは前から二輛目)
右の窓に川の全景が見えるのは
その半分くらいか
そのくらいの時間になにがみえるか
僕のメモはその実験をしていることにもなる

九月二十一日 火曜日 くもり 九時四十九分
橋の上で地下鉄電車同士のすれちがい
池袋行き電車の走る窓を通じて
国鉄総武線電車の黄色が逆方角に動いている

動く赤の中の動く黄色
橋を渡り切るちょっと前で
すれちがいは終り
くもり日の川がみえた
〈後略〉

 メモが記されたのは、1975年10月31日から1976年11月17日までで、丸ノ内線は営団、総武線は国鉄、ともにアルミの電車ではなく、赤や黄色に塗られていた時代だった。


 ちなみに私も、かつて丸ノ内線で通勤していた時期があり、赤い電車には思い入れがある。
 本の紹介のついでに、その500形引退時のメトロカードと硬券を紹介しておこう。メトロカードは詩集と同じ御茶ノ水の地上区間、硬券の方は雪の四ッ谷駅の写真がついているが、この新宿駅発行の硬券セットは手作りで、写真はサービス判のプリント、台紙はコピー刷り。別紙で作ったサインカーブの白い帯を貼ってあるのが微笑ましい。


揖斐の夏

キャプションの詩

 小学生の頃、よくでかけていた伯母の家の近くに古本屋があって、そこに“中綴じ”時代の古い「鉄道ファン」が積まれていた。古いといっても1970年代初頭の話だから、数年前のバックナンバーだったのだが、少年の時分にはえらく昔のもののように思われた。
 当時から旧型の車輛に興味があった私は、その「鉄道ファン」を数冊まとめて買うと、飽かずに眺めては、お気に入りの記事のフレーズを繰り返し読んだ。こうした読書の思い出は私だけではないだろう。

 「鉄道ファン」No.49(1965.7)掲載の白井良和氏による「名古屋鉄道支線めぐり」もその一つで、単車2輛を一つに繋いで連接車化したモ401の写真も魅力的だったが、私はそこに記された詩のようなキャプションに魅了されてしまった。

揖斐の夏 その1 名鉄谷汲線 谷汲-結城 モ161+モ186 1962年5月
緑したたる雑木林の間をぬって、
名鉄の古強者が岐阜忠節へと下って行く。
樹海に響くタイフォンの音に、
騒々しかった蝉しぐれも一瞬とぎれ、
しばらくは梢にそよぐ葉ずれの音と、
せわしげなジョイントの音の天下となる。

揖斐の夏 その2 名鉄揖斐線 星野-中之元 モ401
揖斐の里の夏は暑い。
フナやメダカを追う童たちが家路につくころ、
単車のハコを二つつないだインスタント連接車が、
車体一杯に斜陽を浴びてトコトコとやって来た。
本揖斐に向かうわずかの客を乗せて……

 試しにキャプションを句読点で改行してみたが、殆ど詩になっている。「その1」の写真は5月の撮影で“蝉しぐれ”には早過ぎるが、強い日差しが真夏を感じさせる。おそらく7月号の掲載に合わせて、キャプションを夏向きに創作したのだろう。白井氏か、それとも編集者によるものか。昔の趣味人は詩才があった。

愛知県の岡崎市南公園に保存される名鉄モ401
(2007年8月)

告別の訪問“機関車”

佐々木桔梗とプレス・ビブリオマーヌ[9]

『VISITE D’ADIEU “LOCOMOTIVE” 告別の訪問“機関車”』佐々木桔梗
1969.5・限定1125部
プレス・ビブリオマーヌ

 真冬の長万部、足回りを雪で白くしたC62の重連を斜め後方から捉えた写真。「SL」No.10(1976・交友社)掲載の「忘れ得ぬ蒸気機関車情景」にも選ばれたこの1枚を中心に構成した写真集。
 刊行当時の1960年代末はSLブームの真っただ中、C62の写真集は「驚異的な早さで売り切れてしまった」という。
 フランス語のみの洋書を思わせる表紙は、桔梗氏が影響を受けたドイツの「LOK MAGAZIN」を意識したデザイン。そのため敢えてドイツ語にせずフランス語にしたのだろう。
 装幀は従来のビブリオマーヌらしからぬ雑誌風だが、厚口の紙を用いて、写真と文章を異なるインクで別々に印刷するなど、プライベート・プレスならではのこだわりが感じられる。
 また、蒸気機関車への別れとともに、長年蒐集してきた「切手にも別れの手を振ろう」と、汽車の絵柄の切手を、巻頭ページに1枚ずつ貼付けている。

カメラと機関車

佐々木桔梗とプレス・ビブリオマーヌ[10]

『カメラと機関車』佐々木桔梗
No.1 1970.2, No.2 1970.5, No.3 1971.1
各限定1500部
プレス・ビブリオマーヌ

 表紙に記された「CAPRICE-PUBLICATION」は“気まぐれ刊行”と訳したらいいのか。『告別の訪問“機関車”』と同じ体裁による、不定期刊行の個人誌である。
 『カメラと機関車』というタイトルは、桔梗氏が少年時代に感銘を受けた吉川速男による同名の著書(1938・玄光社)から採られている。
 全ページ、タイトルも小見出しもない書き流し風のエッセイで、1号は少年時代の昭和初期に撮影した鉄道写真や、終戦間もない頃、新聞に書いた鉄道記事の思い出話など。2号は汽車の絵柄の本、マッチラベル、ポスター、絵画などを紹介。こうした記事は、のちに「鉄道ジャーナル」の「装本芸術と汽車」(No.125 1977.7-No.130 1977.12)や「ポスターと書物のドラマ」(No.131 1978.1-No.160 1980.6)といった連載に発展した。3号は再び少年時代の鉄道写真、吉川速男の著作などに触れる。
 表紙は『告別の訪問“蒸気機関車”』同様、洋書を思わせるデザイン。第3号の75部は特別版として、「ロイヤル・スコット」をモチーフとした、小林ドンゲによるシュールな銅版画が付録としてつく。