機関車に巣喰う

廃車体を舞台とした龍膽寺雄のメルヘン

 昭和初期のモダニズム文学を代表する作家、龍膽寺雄(1901-1992)の作品に「機関車に巣喰う」(1930)という奇妙な小説がある。廃車となった客車ならぬ機関車を住み処とする話で、舞台は20年の歳月をかけ、作品の発表と同年の1930(昭和5)年に竣工した荒川放水路(現在の荒川)。その河原に放置された工事用の蒸気機関車に、田舎から駆け落ちしてきた10代半ばの男女が暮らしている。

 俺等(おいら)の住まひを打開けようか。土手の腹に傾(かし)いで錆びついてる泥汽車の機関車さ。放水路の大堤防へ昔さんざんぱら泥を曳いて来て、今ぢや線路も雑草に埋もれて、漏斗の様な旧式な煙突には鳥の糞が白い縞を描き、汽鑵の鼻づらからは蓋扉(ふた)が落ツこつて、煤けた闇をポカンと円く覗かせ、錆びたピストンの背中を昼間はチョロチョロと蜥蜴が匐つて居る。

 二人がねぐらにしているのはキャブの床ではなく火室の中。そこへ鳥の巣のように枯草を積み、古毛布を敷いている。焚口が小さいため、最近、成長してお尻が膨れてきた彼女が、出入りできなくなるのではと心配している。
 主人公の少年は、新聞に紹介されたこともあるほどの発明好きで、川向こうに臨む江東の工場街に小さな工場を持って、自分の考案した“自動蚤取器”や“雨傘を畳み込んだシャッポ”を作るのが夢だ。そんな彼に寄り添う瑁(まい)という名の少女は、放水路を通る「スワン」と名付けた白いモーターボートに憧れている。
 小説は、機関車の上へ登った二人が、明け方の躍動する工場街に心を弾ませるシーンで終わる。

 江東の工場街は汽笛の交響楽であけがたを眼ざませる。露ばんだ空にはクリスマスの飾りの様に幾つもまだ星が光つてゐるのに、壮大な橙色が地球の片側から拡がつて、運河の向うの工場街はくツきりと明暗に彩られる。宏壮な工場建築、倉庫、埃ツぽいスレエト屋根、煤けたコンクリートの壁、煉瓦の小さな窓、錆びた巨大なガスタンク、高い水槽、白い碍子をキラキラとさげた送電鉄塔。
 煙突、
 煙突、
 煙突。
 白い湯気の塊がそここゝから空間へ吹ツ切られて、地球はまさに階調ある汽笛の交響楽だ!

 未来派的な工場の描写が、いかにもモダニストの作者らしい。

 二人がいた放水路の畔は、貨物列車が走る鉄橋の近く、川向こうに、今はなき千住火力発電所の四本煙突が望まれるとあるから、常磐線や東武鉄道が通る小菅辺りだろうか。
 この周辺の風景を描いた「大東京十二景 九月・荒川放水路の秋色」という藤森静雄の版画がある。小説とほぼ同年代の1934(昭和9)年作で、河原の遠景に鉄道のトラス橋や、煙をたなびかせて林立する工場の煙突が描かれている。
 機関車に関しては、臼井茂信『機関車の系譜図』(1973・交友社)の「河原のジプシー」と題した章に、荒川放水路の工事で使われた“泥汽車”が紹介されている。機関車はドイツのボルジッヒ製の20トンCタンクなどで、軌間は1067ミリだった。
 しかし、このサイズの機関車では、小説のような10代半ばの二人が火室に入るのは無理だ。おそらく本線で使われているような機関車の、大きな火室をイメージして書いたのだろう。
 ちなみに自伝の『下妻の追憶』(1978・日月書店)によると、龍膽寺雄は中学生の頃、郷里の下妻を走っていた常総鉄道(現在の関東鉄道常総線)を見て汽車好きになり、一時期は機関車の絵ばかり描いていたという。放水路の“泥汽車”も、そんなことから存在を知ったのかもしれない。

(資料協力:半田亜津志氏)

*引用の出典は「機関車に巣喰う」所収の単行本『放浪時代』(1930・改造社)。


龍膽寺雄の本との出会い

 私が龍膽寺雄を初めて読んだのは、高校生だった1970年代の半ば頃。その当時、殆ど忘れられていた(今も知る人ぞ知るだが)この作家の、手に入れることができた数少ない一冊、『風-に関するEpisode』(1976・奢霸都館)だった。
 作品の初出は1932(昭和7)年。前述の「機関車に巣喰う」にも似た廃屋の木馬館を舞台とした港町のメルヘンで、この小説をきっかけに、私は文学をはじめ、美術や建築など、さまざまな分野の昭和モダニズムに関心を抱くようになった。
 『風-に関するEpisode』は、生田耕作が主宰していたプライベート・プレス、奢霸都館からの刊行で、デ・キリコの絵を表紙に用いたフランス装の装幀が洒落ていた。
 その本は、横浜東口の初代スカイビル(最上階が回転レストランだった)にあった書肆山田で入手した。詩集を刊行する書肆山田が、当時は書店も兼業していたのだった。

 「機関車に巣喰う」の存在は、それから2、3年して、NHK-FMの「クロスオーバー・イレブン」という番組で知った。語り手の石橋蓮司が、この知られざる小説に触れたのだが、それもそのはず、番組の最後に「スクリプトは佐々木桔梗でした」とナレーションが入った。汽車好きで稀覯本の蒐集家としても知られる氏が台本を書いていたのである。
 番組で「機関車に巣喰う」のシチュエーションを聞いた私は、佐々木桔梗が著した『E くろがねの馬の物語』(1970・プレス・アイゼンバーン)に載っている入間川に打ち捨てられた鉄道連隊のEタンクを、その小説の情景のように思い浮かべた。
 私が実際に「機関車に巣喰う」を読むことができたのは1980年代に入ってからである。海野弘が『モダン都市東京 日本の一九二〇年代』(1983・中央公論社)で龍膽寺雄を取り上げるなど、この頃になって昭和初期のモダニズム文学を再評価する気運が高まり、ようやく、その作品を収めた全集(1984-1986・龍膽寺雄全集刊行会)が刊行されたのだった。
高校時代に私が初めて読んだ龍膽寺雄の本『風-に関するEpisode』と、同じ頃に、初めてファンレターというものを書き、不躾にも色紙を同封してお願いしたサイン。「美貌は天才の一つだと私は理解する」と書かれている。「機関車に巣喰う」を知ったのはその後で、再度、手紙を書き、荒川放水路の機関車を実際に見たのか訊かなかったことが悔やまれる。

〈追記〉
 戦後、埋もれていた龍膽寺雄を初めて取り上げたのは、「えろちか」(三崎書房)というあやしげな文芸誌の1970(昭和45)年4月号だった。最近入手したその雑誌を見ると、「龍膽寺雄 EROTICS 傑作選」と題して(“EROTICS”というような官能小説ではないのだが)、「機関車に巣喰う」ほか、「風-に関するEpisode」など、昭和初期の作品を掲載している。
 川本三郎氏はこの特集号で龍膽寺雄を知ったという。掲載作のなかでも特に惹かれたのが「機関車に巣喰う」だったそうで、『東京残影』(1992・日本文芸社)によると、雑誌を手にした当時、週刊誌の記者として、廃止になった都電の車庫に住むヒッピーたちを取材していたことから、作品に強い親しみを覚えたという。
 氏はその後、編集に携わった全集の「モダン都市文学」3巻『都市の周縁』(1990・平凡社)や「日本文学100年の名作」2巻『幸福の持参者』(2014・新潮社)に「機関車に巣喰う」を収録している。