山口青邨の『雪国』

満洲の鉄道を詠んだ俳人たち[3]

山口青邨(1892-1988)は高浜虚子に師事した俳人で、本業は鉱山学者だった。東大に勤めた青邨(せいそん)は、ベルリン工科大学の客員聴講生として1937(昭和12)年に渡欧。この間にヨーロッパ各国を旅行して多くの句を詠んでいる。荻原井泉水と並ぶ海外詠の草分けである。
「ワゴンリ白夜(はくや)の森を今過ぐる」は、スウェーデンのストックホルムから北へ向かう途次での一句。夏の白夜、真夜中でも明るい森林地帯をワゴン・リの寝台列車は走り過ぎていった。
「ヒットラーが笑こぼしつゝ収穫祭」は、ヒトラーが農民に向け演説をしたドイツの収穫祭での一句。ヒトラーを詠んだ俳句など、これが唯一ではないだろうか。

そんな青邨は、満洲へも学術調査などで数回訪れている。1942(昭和17)年に上梓した句集『雪国』には、1940(昭和15)年の7月から9月にかけて訪れた際の「満洲にて」33句を所収。11月の枯野を詠んだ山口誓子とは対照的な夏の句で(句集のタイトルは『雪国』だが)、そのなかには満鉄を題材とした句も含まれている。

瓜番は「あじや」驀進を見送りつ
青高粱(あをきび)は夜を朝としぬ展望車

「瓜番」は夏の季語で、畑の瓜が盗まれないように見張っている番人のことだが、青邨の随筆「満洲風物」に「舟の苫のやうなのもあれば、掛小屋のやうなものも……」とあるように、満鉄の沿線に見られた瓜畑には実際に瓜泥棒を監視する番小屋があったらしい。その番小屋の男が青邨を乗せて驀進する“あじや”を呆然と見送っていた。
高粱(コーリャン)は中国北部で栽培される黍の一種で、夜明けを走る展望車の窓外には青一色のその畑が広がっていた。
「青高粱……」の句について解説した1970(昭和45)年刊行の『自選自解 山口青邨句集』のなかで、青邨はこんなことを記している。

……大連まで船で行って、それから陸路奉天、新京、ハルピンと見学した。大連・新京間に特別急行列車が走っていた、日本内地にもない広軌の豪華な汽車であった。
この旅で、寝台がとれなくて展望車のソファに寝た。明易い大陸の夜はしらじらとして来た。窓外に見る畑は見えるかぎり高粱である、……

大連-新京間を走る特別急行列車といえば「あじあ」。この句が「あじあ」で詠まれたように記しているが、「あじあ」は早朝を走らない。
近年、復刻された『満洲支那汽車時刻表』が、ちょうど青邨の訪れていた1940(昭和15)年8月の号で、それを見ると「あじあ」の下り列車は大連を午前8時55分に発つ。上り列車もハルピンを午前9時半発。この句にあるような時刻をとうに過ぎている。
考えられるのは1等車のある急行の夜行列車だが、展望車がついていたかどうかは分からない。いったい青邨はどんな列車に乗ったのだろうか。