「ピカ一」は“Pi-Car”

僕の電車漫筆[3]

 以前、ホームに入って来た新型車両を目にした少年が「“あたらしがた”だ!」と叫んだのを見て、笑ってしまったことがあった。けれども、似たような間違いの思い出は自分にもある。
 多くのなかで際立って優れたものを「ピカイチ」というが、少年時代に読んでいた鉄道雑誌では、この「イチ」を漢数字の「一」で記していた。なかには誤植で「一」が仮名文字の長音符「ー」になっているのもあり、当時は“Pi-Car”と読んで、言葉の前後からなんとなく「エース」みたいなもの、新しい車両をそう呼ぶのかと思っていた。
 友人のA氏も少年時代、鉄道雑誌にあった「ピカ一」を自分と同じように読んでいたとか。近所に、やはりカタカナの「ピカ」に漢数字の「一」と書いた寿司屋(荻窪にあった、作家の井伏鱒二も通った店らしい)があり、母が「ピカイチ」と呼んでいるのを聞いて、自分の読み間違いに気づいたという。ちなみに自分の場合は、大人になるまでずっと間違いに気づかなかった。
 鉄道関係の本では、しばしば、小さな地方私鉄が自社発注した数少ない新型車両、主に電車を「〇〇鉄道、ピカ一の〇〇形」と紹介していた。

大井川鉄道を走る旧・北陸鉄道6010系
(地名駅・2000年6月)

 少年時代、昭和40年代だった当時、「ピカ一」といえば、クロスシートを配した富士急の3100形や福井鉄道の200形。ほかにも山中温泉への行楽客を運んだ北陸鉄道の6000系「くたに」や6010系「しらさぎ」が思い浮かぶ。アルミ製の「しらさぎ」は旧型の台車等を流用して作った車両だった。そうしたものも、地方私鉄が“頑張って作った感”があっていい。
 温泉行きといえば、湯の山温泉へ向かったナローの三重交通モ4400形(現・三岐鉄道200系)も、ロングシートながらカルダン駆動の3車体連接車で、ニブロクらしからぬ「ピカ一」だった。
 その他、ロングシートの車両では、旭川電軌のモハ1000形や長野電鉄のOSカーこと0系などがあった。

東旭川公民館に保存される旭川電軌モハ1001

 「ピカイチ」とはもともと花札からきた言葉で、初めに配られた手札のうち光り物(20点札)が1枚、ほかの札全てが素札のことらしいが、モダンな車両を表すのに花札由来の言葉は似合わない。それよりも“Pi-Car”の方がしっくりくる。