機関車に巣喰う

廃車体を舞台とした龍膽寺雄のメルヘン

龍膽寺雄が書いた「機関車に巣喰う」という奇妙な小説がある。廃車となった客車や電車に人が暮らしたという例はあるが、機関車となると小説の中の世界、それも、この作品が唯一だろう。
龍膽寺雄(1901-1992)は、昭和初期にモダニズム文学の旗手として活躍した作家だ。「機関車に巣喰う」の初出は1930(昭和5)年で、同じ年に17年かけて完成した荒川放水路の、河原に放置された工事用の蒸気機関車を舞台としている。
ryutanji-01「俺らの住まいを打ち開けようか。土手の腹に傾(かし)いで錆びついてる泥汽車の機関車さ。放水路の大堤防へ昔さんざんぱら泥を曳いてきて、今じゃ線路も雑草に埋もれ、漏斗のような旧式な煙突には鳥の糞が白い縞を描き、汽鑵の鼻づらからは蓋扉(ふた)が落っこって、煤けた闇をポカンと円く覗かせ、錆びたピストンの背中を昼間はチョロチョロと蜥蜴がはっている。」
田舎から駆け落ちしてきた10代半ばの二人が、その機関車に住みついているのだが、ねぐらにしているのはキャブの床ではなく、鳥の巣のように枯草を積み、古毛布を敷いた火室の中。焚口が小さく、最近、成長してお尻が膨れてきた彼女のせいで、出入りできなくなるのではと心配している。
主人公の少年は、新聞に紹介されたこともあるほどの発明好きで、川向こうに臨む江東の工場街に小さな工場を持って、自分の考案した“自動蚤取器”や“雨傘を畳み込んだシャッポ”を作るのが夢だ。そんな彼に寄り添う瑁(まい)という名の少女は、放水路を通る「スワン」と名付けた白いモーターボートに憧れている。
小説は、機関車の上へ登った二人が、明け方の躍動する工場街に心を弾ませるシーンで終わる。
「江東の工場街は汽笛の交響楽であけがたを眼ざませる。……煙突、煙突、煙突。白い湯気の塊がそこここから空間へ吹っ切られて、地球はまさに階調ある汽笛の交響楽だ!」
未来派の詩を思わせる描写が、いかにもモダニストの龍膽寺雄らしい。「機関車に巣喰う」は、都会のメルヘンのような作品だ。

二人がいた場所は、貨物列車が走る鉄橋の近く、川向こうに千住火力発電所の四本煙突が望まれると書かれているから、常磐線や東武鉄道が通る小菅だろうか。
藤森静雄の版画に、この辺りの風景を描いた「大東京十二景 九月・荒川放水路の秋色」という作品がある。小説とほぼ同年代の1934(昭和9)年作で、河原の遠景に鉄道のトラス橋や、煙をたなびかせて林立する工場の煙突が描かれている。
機関車に関しては、臼井茂信の『機関車の系譜図』(1973・交友社)の「河原のジプシー」と題した章に、荒川放水路の工事で使われた“泥汽車”が紹介されている。機関車はドイツのボルジッヒ製の20トンCタンクなどで、軌間は1,067ミリだった。
しかし、このサイズの機関車では、小説のような10代半ばの二人が火室に入るのは無理だろう。といって、著者が機関車の罐胴全体を火室と思っていたのかというとそうでもないようで、火室の描写には「蜂の巣形にあいた焔管の穴には、白墨で一つ一つ番号が記されて、箪笥の抽斗のようにいろんなものがその中にしまってある。鉛筆、キャラメル、ナイフ……」とある。ボイラーのこともちゃんと知っていたようだ。
廃車体が本線で使われるような大型の機関車だったら無理がなかったのだが、おそらく龍膽寺雄は写真で(あるいは荒川を渡る列車の窓から?)放水路の“泥汽車”を知り、イメージを膨らませて書いたのだろう。
こうした小説は現実と切り離して愉しむべきなのかもしれないが、登場する二人が、もっと小さな子どもだったら(家出した兄妹にでもして)、小型の“泥汽車”をねぐらにするのも無理なく、また、作品もよりメルヘン調にできただろう。

(資料協力:半田亜津志氏)


龍膽寺雄の本との出会い

私が龍膽寺雄を初めて読んだのは、高校生だった1970年代の半ば頃。その当時、殆ど忘れられていた(今も知る人ぞ知るだが……)この作家の、手に入れることができた数少ない一冊、『風-に関するEpisode』(1976・奢霸都館)だった。
作品の初出は1932(昭和7)年。前述の「機関車に巣喰う」にも似た廃車体ならぬ廃屋の木馬館を舞台とした港町のメルヘンで、この作品をきっかけに、私は文学をはじめ、美術や建築など、さまざまな分野の昭和モダニズムに関心を抱くようになった。
『風-に関するEpisode』は、生田耕作が主宰していた奢霸都館からの刊行で、デ・キリコの絵を表紙に用いた、フランス装の装幀が洒落ていた。
その本は、横浜東口の初代スカイビル(最上階が回転レストランのビル)にあった書肆山田で入手した。詩集を刊行する書肆山田が、その頃は書店も兼業していたのだった。

「機関車に巣喰う」の存在は、それから2、3年して、NHK-FMの「クロスオーバー・イレブン」という番組で知った。語り手の石橋蓮司が、この知られざる小説に触れたのだが、それもそのはず、番組の最後に「スクリプトは佐々木桔梗でした」とナレーションが入った。稀覯本の蒐集家として知られる氏が台本を書いていたのである。
番組で「機関車に巣喰う」のシチュエーションを聞いた私は、佐々木桔梗が著した『E くろがねの馬の物語』(1970・プレス・アイゼンバーン)に載っている入間川に打ち捨てられた鉄道連隊のEタンクを、その小説の情景のように思い浮かべた。
私が実際に「機関車に巣喰う」を読むことができたのは1980年代に入ってからである。海野弘が『モダン都市東京 日本の一九二〇年代』(1983・中央公論社)で龍膽寺雄を取り上げるなど、この頃になって昭和初期のモダニズム文学を再評価する気運が高まり、ようやく、その作品を所収した全集(1984-1986・龍膽寺雄全集刊行会)が刊行されたのだった。

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高校時代に私が初めて読んだ龍膽寺雄の本『風-に関するEpisode』と、同じ頃に、初めてファンレターというものを書き、不躾にも色紙を同封してお願いしたサイン。「美貌は天才の一つだと私は理解する」と書かれている。「機関車に巣喰う」を知ったのはその後で、再度、手紙を書き、放水路の機関車を実際に見たのか訊かなかったことが悔やまれる。

丸ノ内線の詩集

朝倉勇『詩集 神田川を地下鉄丸の内線電車が渡るとき』

maru-01地下鉄丸ノ内線には、茗荷谷-後楽園、御茶ノ水-淡路町、四ツ谷と、地上を走る区間が存在する。なかでも御茶ノ水駅をでてすぐ、神田川を渡り、総武・中央線の下をくぐる区間は、わずかな距離ながら立体交差が面白く、昔の絵本や図鑑によく描かれた。
先日見つけた朝倉勇の『詩集 神田川を地下鉄丸の内線電車が渡るとき』(1983・誠文堂新光社)は、そんな御茶ノ水の地上区間を題材とした詩集である。それも丸ノ内線で通勤する途中、その地上にでる数秒間の印象を、約1年に亘ってメモした日記のような詩集だ。
私は書かれている詩そのものよりも、現代アートを思わせるその着想に惹かれた。

十一月二十五日 火曜日 快晴 九時五十分 左(抜粋)
三階建てと思った左岸の木造建ては
四階建てであった
きのう列島を襲った寒気団に日本の空は洗われた
透明な光があふれている
川に反射した光が
岸と建物にも下から明るさをおくっている
…………

神田川の左岸に見える三階建てと思っていた木造の建物が、後日見たら四階建てであったとか、電車の正面からは神田川が見えないとかいったことが日々記されていく。

三月十六日 火曜日
地下鉄電車が神田川鉄橋を渡る時間を計ってみた
渡りはじめから終りまで
ざっと七秒である
(ただし僕が乗っているのは前から二輛目)
右の窓に川の全景が見えるのは
その半分くらいか
そのくらいの時間になにがみえるか
僕のメモはその実験をしていることにもなる

九月二十一日 火曜日 くもり 九時四十九分(抜粋)
橋の上で地下鉄電車同士のすれちがい
池袋行き電車の走る窓を通じて
国鉄総武線電車の黄色が逆方角に動いている

動く赤の中の動く黄色
橋を渡り切るちょっと前で
すれちがいは終り
くもり日の川がみえた
…………

メモが記されたのは、1975年10月31日から1976年11月17日までで、丸ノ内線は営団、総武線は国鉄、ともにアルミの電車ではなく、赤や黄色に塗られていた時代だった。


ちなみに私もかつて丸ノ内線で通勤していた時期があり、赤い電車には思い入れがある。
本の紹介のついでに、その500形引退時のメトロカードと硬券を紹介しておこう。メトロカードは詩集と同じ御茶ノ水の地上区間、硬券の方は雪の四ッ谷駅の写真がついているが、この新宿駅発行の硬券セットは手作りで、写真はサービス判のプリント、台紙はコピー刷り。別紙で作ったサインカーブの白い帯を貼ってあるのが微笑ましい。

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揖斐の夏

キャプションの詩

小学生の頃、よくでかけていた伯母の家の近くに古本屋があって、そこに“中綴じ”時代の古い「鉄道ファン」が積まれていた。
古いといっても1970年代初頭の話だから、数年前のバックナンバーだったのだが、少年の時分にはえらく昔のもののように思われた。
当時から旧型の車輛に興味があった私は、その「鉄道ファン」を数冊まとめて買うと、飽かずに眺めては、お気に入りの記事のフレーズを繰り返し読んだ。こうした読書の思い出は私だけではないだろう。

ibi-01ibi-02「鉄道ファン」No.49 白井良和著「名古屋鉄道支線めぐり」

「鉄道ファン」No.49(1965.7)掲載の白井良和氏による「名古屋鉄道支線めぐり」もその一つで、単車2輛を一つに繋いで連接車化したモ401も魅力的だったが、「揖斐の夏」と題された写真の、詩のようなキャプションに魅了されてしまった。

揖斐の夏 その1 名鉄谷汲線 谷汲-結城 モ161+モ186 1962年5月
緑したたる雑木林の間をぬって、
名鉄の古強者が岐阜忠節へと下って行く。
樹海に響くタイフォンの音に、
騒々しかった蝉しぐれも一瞬とぎれ、
しばらくは梢にそよぐ葉ずれの音と、
せわしげなジョイントの音の天下となる。

揖斐の夏 その2 名鉄揖斐線 星野-中之元 モ401
揖斐の里の夏は暑い。
フナやメダカを追う童たちが家路につくころ、
単車のハコを二つつないだインスタント連接車が、
車体一杯に斜陽を浴びてトコトコとやって来た。
本揖斐に向かうわずかの客を乗せて……

試しにキャプションを句読点で改行してみたが、殆ど詩になっている。
「その1」の写真は5月の撮影で“蝉しぐれ”には早過ぎるが、強い日差しが真夏を感じさせる。おそらく7月号の掲載に合わせて、キャプションを夏向きに創作したのだろう。
白井氏か、それとも編集者によるものか。昔の趣味人は詩才があった。

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愛知県の岡崎市南公園に保存される名鉄モ401(2007年8月撮影)。
少年時代の憧れだった401が今も健在なのは嬉しい。連接車はその構造が珍しいためか保存されている車輛が多い。惜しむらくは、401と同じように単車2輛を連接車化した仙台市電の300形がなくなってしまったこと。

黒部猫町探訪

萩原朔太郎の「猫町」を探して

薬に侵された詩人が、療養に訪れた温泉地で、人に化けた猫の群集する町の幻覚を見る。そんなストーリーの小説、萩原朔太郎の「猫町」は、その妖しい魅力で多くの読者を惹きつけている。
「猫町」は画家、イラストレーターの恰好なモチーフともなり、さまざまな挿画の本が刊行されている。
また、清岡卓行の『萩原朔太郎『猫町』私論』(1974・文藝春秋)や、種村季弘、海野弘等が寄稿した『猫町の絵本』(1979・北宋社)など、この小説の謎解きをした本もでているが、「猫町」には、こうした本にも載っていない大きな謎が残されている。それは、この作品のモデルとなった場所が実在したのではと思わせる点だ。
「……私の現実に経験した次の事実も、所詮はモルヒネ中毒に中枢を冒された一詩人の、取りとめもないデカダンスの幻覚にしか過ぎないだろう。……私の為し得ることは、ただ自分の経験した事実だけを、報告の記事に書くだけである。」といったくだりは、たとえそれが幻覚であったとしても、朔太郎自身の体験を綴ったもののように受け取れる。文中には「北越地方のKという温泉」「繁華なU町」と、地名がイニシャルで記される。Kとは、Uとは、いったいどこなのか。
neko-01私は猫町探訪を思い立った。手掛かりとなるのはイニシャルの地名と、「U町へは、小さな軽便鉄道が布設されていた」という記述。作中の詩人はこの軽便鉄道を途中下車し、山道を一人散策することから幻覚の猫町へ迷い込む。軽便鉄道とは、今では汽車や路面電車以上に死語となってしまった言葉だが、一般の鉄道よりも軌間が狭く、小型の車輌を使用する鉄道をいう。費用がかからないことから、昔は地方を中心に数多く敷設された。
まず、『日本の軽便鉄道』(1974・立風書房)という本の要覧から、作品に該当しそうな鉄道を探した。「北越」とは越中と越後。越中は今の富山県、越後は新潟県だから、それらの県を走った軽便鉄道より、沿線に「Kという温泉」のある路線を調べる。「猫町」の初出は文芸誌「セルパン」(第一書房)の1935(昭和10)年8月号、文中で十数年前の体験と記していることから、それより以前に開業していたものでなければならない。
このような条件を充たす鉄道が一つだけ見つかった。それは富山県の旧称・関西電力黒部線、現在は観光鉄道として有名な黒部峡谷鉄道である。1926(大正15)年に宇奈月-猫又間を開業。開業年はやや遅いが、イニシャルの地名Kは黒部、あるいは沿線の黒薙温泉か鐘釣温泉、Uは宇奈月ではないかと思ったのだ。
しかし、驚いたのは“猫又”という駅名だ。猫又は、藤原定家の『明月記』によると、一度に7、8人の人間を食い殺すという、古来より伝承の化け猫で、兼好の『徒然草』第八十九段にも「奥山に、猫またといふもの」がある。水木しげるの漫画でも同名の妖怪が描かれ、「猫又は、三十年あまりも生きている、野生の老猫がなる。特長は、尾の先が二つにわかれていて、人をばかす……」と解説。水木しげるの作品「猫又」は、無人島で食料に困った男が尾の裂けた猫を食べたために、身体から猫の頭が生えだし、やがて化け猫に変わってしまうという話であった。
黒部峡谷の地図を広げてみると、黒部川の猫又よりやや下流には、“ねずみ返しの岸壁”というものが記されている。解説によれば、直立した岸壁で、ねずみも登れずに引き返したというのが名称の由来らしい。猫又は、そのねずみを追ってきた“猫もまた”、引き返したという意味らしいが、妖怪の伝承を隠蔽しているようにも取れる。
とにかくその場所へ出かけてみよう。ある夏の日、私は黒部を訪れた。
黒部峡谷鉄道の起点、宇奈月駅は多くの観光客で賑わっていた。駅前には黒部川電気記念館という黒部川の自然や水源開発の歴史を紹介する施設が建てられている。今では観光鉄道のイメージが強い黒部峡谷鉄道も、もとは水源開発の資材運搬のために作られた鉄道であった。
記念館の前に小さなL形の機関車が展示されていた。鉄道の敷設された頃から使用されたというアメリカのジェフリー社製の電気機関車だ。この鉄道は開業当初から電化されていたのである。

neko-02黒部川電気記念館前に展示される電気機関車EB5。

「猫町」では、「その玩具のような可愛い汽車は、落葉樹の林や、谷間の見える山峡やを、うねうねと曲がりながら走って行った」と、温泉地へ行く軽便鉄道が汽車であったと記している。しかし、汽車という表現が蒸気機関車を指すとは限らない。昔はさまざまな鉄道の列車を慣用的に汽車と総称していたからだ。
駅の窓口で目的の猫又まで切符を求めると、路線図にはちゃんと駅名が載っているにも拘わらず、この駅は一般の乗降用でないといわれた。殆どの観光客が終点の欅平まで購入しているなか、いったい何の目的があるのかと駅員は怪訝な顔つきだ。まさか萩原朔太郎の……と説明するわけにはいかないから、一つ先の鐘釣まで買うことにした。
たしかに猫又は、作業員のためだけに作られた殺風景な駅だった。それでも1937(昭和12)年に欅平へ路線が延びるまでは、ここが終着駅であった。せめて駅名板でもと、私はトロッコの客車からカメラを向けた。妖怪の名前がついた駅名など、全国でもここだけではないだろうか。

neko-03neko-04〈上〉猫又駅の駅名板。〈下〉猫又駅の一つ先にある鐘釣駅付近。

鐘釣で下り列車へ乗り換え、宇奈月に戻ってあたりを散策する。宇奈月は近代的なホテルが建ち、鄙びた風情はないが、朔太郎が猫町と錯覚したU町と思われる場所である。駅前の記念撮影台には黒部峡谷鉄道のトロッコ列車の模型、土産物屋を覗くと店頭に並ぶのはトロッコ饅頭、街灯を見上げればトロッコ列車のシルエットの意匠、町のあちこちにトロッコが現れ、猫町ならぬ“トロッコ町”といった感じだ。
私は猫を探そうと路地裏を歩いてみることにした。なぜか不思議なことに一匹も見つからない。これだけの町なら一匹くらいいたっていいのに。ひょっとするとここは本当の猫町で、小説と同じように人の姿に化けたのではないか?
隣接した富山地方鉄道の駅へでると、駅前に「好日」と題されたブロンズ像が置かれていた。婦人に抱かれた金色の猫がこちらを見ている。その日、宇奈月で見かけた猫は、このブロンズ像一匹だけであった。

neko-05宇奈月駅前のブロンズ像。

後日、『萩原朔太郎全集』第15巻(1988・筑摩書房)の年譜より興味深いことを知った。それは、朔太郎が度々、夏季に避暑を兼ねた温泉旅行をしていたことである。彼が好んで訪れた場所は、郷里の前橋に近い伊香保温泉や四万温泉など。しかし、残念ながら黒部へ行ったという記録はない。
また、黒部峡谷鉄道は当初、専用鉄道として開業し、一般の利用を認めたのは1929(昭和4)年からであった(ちなみに、地方鉄道法による正式な営業免許を受けたのは戦後の1953年)。これでは1935年より十数年前としている文章に合わなくなってしまう。
だが、たとえ実際に訪れていないとしても、私は猫町が黒部のような気がしてならない。温泉好きだった朔太郎が、温泉マークの点在する黒部の地図を眺め、そこに猫又という地名を見つけて、小説「猫町」を着想したのではないだろうか。


本稿は雑誌「ラパン」の1998年9月号に寄稿した「猫町探訪 萩原朔太郎の『猫町』をさがして」に加筆したものである。愛着があってまた掲載することにした。
当時、黒部が「猫町」のモデルなんてことを書いたのは自分だけではないかと得意になっていたが、最近、国会図書館で、改めて「猫町」に関する資料を閲覧し、私の執筆より1年も前に、同じことを指摘した論考があったことを知った。早稲田大学国文学会刊行の「国文学研究」No.121(1997.3)に掲載された都築賢一氏の「山猫と鉢巣電灯(シャンデリヤ)-萩原朔太郎『猫町』探訪記-」である。ただし、アプローチの仕方は違っていて、朔太郎の郷里、前橋の近くに“猫村”という土地が実在したこと(山の根元、“根っこ”の意味らしいが)、また、朔太郎と親交の深かった室生犀星が、当時秘境だった黒部峡谷を踏破した登山家の冠松次郎に関心をもっていたことから、その黒部に猫又という地名を見つけて、「猫町」を着想したのではないかとしている。


neko-06ところで、私は「猫町」の本の蒐集家でもある。
残念ながらオリジナルの川上澄生挿画による『猫町』(1935・版画荘)はないが、その復刻版(1968・政治公論社)を持っている。復刻版は「無限」創刊10周年記念の出版とかで限定1000部。古本市で安く手に入れた(右の画像)。
川上澄生のほか、朔太郎の「猫町」に画家やイラストレーターが挿画を描いた本としては、市川曜子(1996・透土社)、金井田英津子(1997・パロル舎)、山口マオ(1992・私家版)によるものがある。
金井田英津子は、蒸機が牽く列車のほかに、単端風の気動車も描いている。この作品は、町田康が朗読する紙芝居のような“画ニメ”と称するDVD版(2006・東映アニメーション)にもなった。
挿画のかわりに写真を使った本としては、心象写真制作スタッフによる『猫町』(2006・KKベストセラーズ)がある。殆ど猫の写真集といった感じだが、鉄道の写真は草津軽便鉄道。コッペルの蒸機に牽かれた列車が橋を渡る大正時代の絵葉書を載せている。また、妖しげな猫町の写真は、近年まで鎌倉駅の近くに残っていた病院の廃墟を撮ったものだ。
清岡卓行が著した『萩原朔太郎『猫町』私論』(1974・文藝春秋)は、その後、筑摩叢書として復刻された(1991・筑摩書房)。「猫町」だけでなく、朔太郎の詩に登場する猫についても触れている。
つげ義春の『猫町紀行』(1982・三輪舎)は限定600部の豆本。猫町ならぬ“犬目宿”を訪ねる画文集で、その後、『貧困旅行記』(1991・晶文社/新版1995・新潮社)に収録されている。この『猫町紀行』は、北宋社より『猫町の絵本』の依頼があった当初、書くことができず、後に形となった作品らしい。
その『猫町の絵本』(1979・北宋社)は、私が「猫町」に興味をもつきっかけになった本。あとがきにある通り、「十余人の文章家および、同じく十余人の画家に「猫町」を一読していただき、それをきっかけとしておのずと心に浮んだ夢やらイメージやらを各自、自由勝手に書いていただき……」まとめたもの。長新太、水木しげる等によるイラストと、種村季弘、海野弘等による文章を掲載している。なかでも鉄道趣味的に興味深いのは、花輪和一のイラストだろう。山高帽に杖の男とともに、リアルな軽便蒸機の列車を描いている。
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