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黒部猫町探訪

萩原朔太郎の「猫町」を探して

薬に侵された詩人が、療養に訪れた温泉地で、人に化けた猫の群集する町の幻覚を見る。そんなストーリーの小説、萩原朔太郎の「猫町」は、その妖しい魅力で多くの読者を惹きつけている。
「猫町」は画家、イラストレーターの恰好なモチーフともなり、さまざまな挿画の本が刊行されている。
また、清岡卓行の『萩原朔太郎『猫町』私論』(1974・文藝春秋)や、種村季弘、海野弘等が寄稿した『猫町の絵本』(1979・北宋社)など、この小説の謎解きをした本もでているが、「猫町」には、こうした本にも載っていない大きな謎が残されている。それは、この作品のモデルとなった場所が実在したのではと思わせる点だ。
「……私の現実に経験した次の事実も、所詮はモルヒネ中毒に中枢を冒された一詩人の、取りとめもないデカダンスの幻覚にしか過ぎないだろう。……私の為し得ることは、ただ自分の経験した事実だけを、報告の記事に書くだけである。」といったくだりは、たとえそれが幻覚であったとしても、朔太郎自身の体験を綴ったもののように受け取れる。文中には「北越地方のKという温泉」「繁華なU町」と、地名がイニシャルで記される。Kとは、Uとは、いったいどこなのか。
neko-01私は猫町探訪を思い立った。手掛かりとなるのはイニシャルの地名と、「U町へは、小さな軽便鉄道が布設されていた」という記述。作中の詩人はこの軽便鉄道を途中下車し、山道を一人散策することから幻覚の猫町へ迷い込む。軽便鉄道とは、今では汽車や路面電車以上に死語となってしまった言葉だが、一般の鉄道よりも軌間が狭く、小型の車輌を使用する鉄道をいう。費用がかからないことから、昔は地方を中心に数多く敷設された。
まず、『日本の軽便鉄道』(1974・立風書房)という本の要覧から、作品に該当しそうな鉄道を探した。「北越」とは越中と越後。越中は今の富山県、越後は新潟県だから、それらの県を走った軽便鉄道より、沿線に「Kという温泉」のある路線を調べる。「猫町」の初出は文芸誌「セルパン」(第一書房)の1935(昭和10)年8月号、文中で十数年前の体験と記していることから、それより以前に開業していたものでなければならない。
このような条件を充たす鉄道が一つだけ見つかった。それは富山県の旧称・関西電力黒部線、現在は観光鉄道として有名な黒部峡谷鉄道である。1926(大正15)年に宇奈月-猫又間を開業。開業年はやや遅いが、イニシャルの地名Kは黒部、あるいは沿線の黒薙温泉か鐘釣温泉、Uは宇奈月ではないかと思ったのだ。
しかし、驚いたのは“猫又”という駅名だ。猫又は、藤原定家の『明月記』によると、一度に7、8人の人間を食い殺すという、古来より伝承の化け猫で、兼好の『徒然草』第八十九段にも「奥山に、猫またといふもの」がある。水木しげるの漫画でも同名の妖怪が描かれ、「猫又は、三十年あまりも生きている、野生の老猫がなる。特長は、尾の先が二つにわかれていて、人をばかす……」と解説。水木しげるの作品「猫又」は、無人島で食料に困った男が尾の裂けた猫を食べたために、身体から猫の頭が生えだし、やがて化け猫に変わってしまうという話であった。
黒部峡谷の地図を広げてみると、黒部川の猫又よりやや下流には、“ねずみ返しの岸壁”というものが記されている。解説によれば、直立した岸壁で、ねずみも登れずに引き返したというのが名称の由来らしい。猫又は、そのねずみを追ってきた“猫もまた”、引き返したという意味らしいが、妖怪の伝承を隠蔽しているようにも取れる。
とにかくその場所へ出かけてみよう。ある夏の日、私は黒部を訪れた。
黒部峡谷鉄道の起点、宇奈月駅は多くの観光客で賑わっていた。駅前には黒部川電気記念館という黒部川の自然や水源開発の歴史を紹介する施設が建てられている。今では観光鉄道のイメージが強い黒部峡谷鉄道も、もとは水源開発の資材運搬のために作られた鉄道であった。
記念館の前に小さなL形の機関車が展示されていた。鉄道の敷設された頃から使用されたというアメリカのジェフリー社製の電気機関車だ。この鉄道は開業当初から電化されていたのである。

neko-02黒部川電気記念館前に展示される電気機関車EB5。

「猫町」では、「その玩具のような可愛い汽車は、落葉樹の林や、谷間の見える山峡やを、うねうねと曲がりながら走って行った」と、温泉地へ行く軽便鉄道が汽車であったと記している。しかし、汽車という表現が蒸気機関車を指すとは限らない。昔はさまざまな鉄道の列車を慣用的に汽車と総称していたからだ。
駅の窓口で目的の猫又まで切符を求めると、路線図にはちゃんと駅名が載っているにも拘わらず、この駅は一般の乗降用でないといわれた。殆どの観光客が終点の欅平まで購入しているなか、いったい何の目的があるのかと駅員は怪訝な顔つきだ。まさか萩原朔太郎の……と説明するわけにはいかないから、一つ先の鐘釣まで買うことにした。
たしかに猫又は、作業員のためだけに作られた殺風景な駅だった。それでも1937(昭和12)年に欅平へ路線が延びるまでは、ここが終着駅であった。せめて駅名板でもと、私はトロッコの客車からカメラを向けた。妖怪の名前がついた駅名など、全国でもここだけではないだろうか。

neko-03neko-04〈上〉猫又駅の駅名板。〈下〉猫又駅の一つ先にある鐘釣駅付近。

鐘釣で下り列車へ乗り換え、宇奈月に戻ってあたりを散策する。宇奈月は近代的なホテルが建ち、鄙びた風情はないが、朔太郎が猫町と錯覚したU町と思われる場所である。駅前の記念撮影台には黒部峡谷鉄道のトロッコ列車の模型、土産物屋を覗くと店頭に並ぶのはトロッコ饅頭、街灯を見上げればトロッコ列車のシルエットの意匠、町のあちこちにトロッコが現れ、猫町ならぬ“トロッコ町”といった感じだ。
私は猫を探そうと路地裏を歩いてみることにした。なぜか不思議なことに一匹も見つからない。これだけの町なら一匹くらいいたっていいのに。ひょっとするとここは本当の猫町で、小説と同じように人の姿に化けたのではないか?
隣接した富山地方鉄道の駅へでると、駅前に「好日」と題されたブロンズ像が置かれていた。婦人に抱かれた金色の猫がこちらを見ている。その日、宇奈月で見かけた猫は、このブロンズ像一匹だけであった。

neko-05宇奈月駅前のブロンズ像。

後日、『萩原朔太郎全集』第15巻(1988・筑摩書房)の年譜より興味深いことを知った。それは、朔太郎が度々、夏季に避暑を兼ねた温泉旅行をしていたことである。彼が好んで訪れた場所は、郷里の前橋に近い伊香保温泉や四万温泉など。しかし、残念ながら黒部へ行ったという記録はない。
また、黒部峡谷鉄道は当初、専用鉄道として開業し、一般の利用を認めたのは1929(昭和4)年からであった(ちなみに、地方鉄道法による正式な営業免許を受けたのは戦後の1953年)。これでは1935年より十数年前としている文章に合わなくなってしまう。
だが、たとえ実際に訪れていないとしても、私は猫町が黒部のような気がしてならない。温泉好きだった朔太郎が、温泉マークの点在する黒部の地図を眺め、そこに猫又という地名を見つけて、小説「猫町」を着想したのではないだろうか。


本稿は雑誌「ラパン」の1998年9月号に寄稿した「猫町探訪 萩原朔太郎の『猫町』をさがして」に加筆したものである。愛着があってまた掲載することにした。
当時、黒部が「猫町」のモデルなんてことを書いたのは自分だけではないかと得意になっていたが、最近、国会図書館で、改めて「猫町」に関する資料を閲覧し、私の執筆より1年も前に、同じことを指摘した論考があったことを知った。早稲田大学国文学会刊行の「国文学研究」No.121(1997.3)に掲載された都築賢一氏の「山猫と鉢巣電灯(シャンデリヤ)-萩原朔太郎『猫町』探訪記-」である。ただし、アプローチの仕方は違っていて、朔太郎の郷里、前橋の近くに“猫村”という土地が実在したこと(山の根元、“根っこ”の意味らしいが)、また、朔太郎と親交の深かった室生犀星が、当時秘境だった黒部峡谷を踏破した登山家の冠松次郎に関心をもっていたことから、その黒部に猫又という地名を見つけて、「猫町」を着想したのではないかとしている。


neko-06ところで、私は「猫町」の本の蒐集家でもある。
残念ながらオリジナルの川上澄生挿画による『猫町』(1935・版画荘)はないが、その復刻版(1968・政治公論社)を持っている。復刻版は「無限」創刊10周年記念の出版とかで限定1000部。古本市で安く手に入れた(右の画像)。
川上澄生のほか、朔太郎の「猫町」に画家やイラストレーターが挿画を描いた本としては、市川曜子(1996・透土社)、金井田英津子(1997・パロル舎)、山口マオ(1992・私家版)によるものがある。
金井田英津子は、蒸機が牽く列車のほかに、単端風の気動車も描いている。この作品は、町田康が朗読する紙芝居のような“画ニメ”と称するDVD版(2006・東映アニメーション)にもなった。
挿画のかわりに写真を使った本としては、心象写真制作スタッフによる『猫町』(2006・KKベストセラーズ)がある。殆ど猫の写真集といった感じだが、鉄道の写真は草津軽便鉄道。コッペルの蒸機に牽かれた列車が橋を渡る大正時代の絵葉書を載せている。また、妖しげな猫町の写真は、近年まで鎌倉駅の近くに残っていた病院の廃墟を撮ったものだ。
清岡卓行が著した『萩原朔太郎『猫町』私論』(1974・文藝春秋)は、その後、筑摩叢書として復刻された(1991・筑摩書房)。「猫町」だけでなく、朔太郎の詩に登場する猫についても触れている。
つげ義春の『猫町紀行』(1982・三輪舎)は限定600部の豆本。猫町ならぬ“犬目宿”を訪ねる画文集で、その後、『貧困旅行記』(1991・晶文社/新版1995・新潮社)に収録されている。この『猫町紀行』は、北宋社より『猫町の絵本』の依頼があった当初、書くことができず、後に形となった作品らしい。
その『猫町の絵本』(1979・北宋社)は、私が「猫町」に興味をもつきっかけになった本。あとがきにある通り、「十余人の文章家および、同じく十余人の画家に「猫町」を一読していただき、それをきっかけとしておのずと心に浮んだ夢やらイメージやらを各自、自由勝手に書いていただき……」まとめたもの。長新太、水木しげる等によるイラストと、種村季弘、海野弘等による文章を掲載している。なかでも鉄道趣味的に興味深いのは、花輪和一のイラストだろう。山高帽に杖の男とともに、リアルな軽便蒸機の列車を描いている。
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